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飛びつき注意 

昨年11月に、仕事での資格試験に合格したので、気が大きくなって特大ミラーを買った。
90cm×180cmで7980円、ネットで最安値を見つけて、喜んでいたのもつかの間だった。
重くて動かせないのだ。よーく商品説明の欄を見ると重量23・5kgと、小さく記載されているが、
実際はもっとあるんじゃないかと疑っている。
安かったせいか、コマもスタンドもない。早い話大きな額縁だ。部屋の隅っこに置いて、フラメンコの練習の時だけ引っ張り出してきては使う、という目論見は消え去った。一度、なんとか引っ張り出したが、戻すのも大変で懲りた。大きすぎて出しっぱなしにはできないので、テレビの後ろに布を掛けて立てかけてある。
 いつのまにか違和感なくテレビを観ている、自分が恐ろしい。大きな壁紙になってしまったようだ。

特大ミラーがくる前に、団地の駐車場でうちの階下の部屋に住むYさんに出会った。愛想のいい奥さんで、いつぞや私が実家から持ち帰ったジョン・レノンのパネルを三階の部屋まで運んでいると
「わあー、懐かしい。私も若いときビートルズ好きやったわ。ポールのファンやってん」と声をかけられたこともある。お孫さんもいるので、ずっと年配だと思っていたけど、よく考えると私だって孫がいておかしくない年齢だ。そのYさんが
「上田さん、ご挨拶に行こうと思っていたんやけど、ここでお会いしたから、ついでみたいで、なんですが。うち今月いっぱいで引越しするんです。といっても同じ町内なんですけど、息子が家買ったんです」
「へえー、いいですね」
「いえいえ、ローンが大変で。いろいろお世話になりました」
「こちらこそ、お元気で」
そうか、息子さんと同居するんか。時々見かけたけど、やさしそうな息子さんやもんなあ。
と部屋に戻ってぼんやり考えていた。さて、洗濯物でも取り入れようかと、椅子から立ち上がる。
もう、椅子を引く音にも気を遣わなくていいんだ。この公団は、平成三十年に取り壊しが決まっているので、入居者は募集していない。
空室が目立つ。これで隣室と階下が空くことになる。ということは・・・。
 ひらめいた。コンパネだ。ホーム・センターへ行ってコンパネを二枚買おう。
特大ミラーがきて、Yさんが引っ越したら、床にコンパネをひいて、フラメンコの練習をする。
フラメンコ・シューズを履いて練習できるやん。その夜は、興奮して眠れなかった。

 あの時、ホーム・センターに駆け込まなくて、よかった。今、つくづく思う。

今年の標語「飛びつき注意!買うは易し、捨てるは難し」
紙にマジックで書いて貼ろうかと思ったが、やめた。また壁紙が一枚増えるだけのような気がして。

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Nへ…           

2月13日に旅立った友人「エヌ」追悼文第三弾。仲間うちでも一番古いつきあいだったばぶ爺からです。葬儀の際も友人代表として心のこもった弔辞を遺影に語りかけていました。
                        Joe

「Nへ…」                 ばぶ爺
 1976年5月。石垣島で、OJOさんと知り合って一週間後、与那国島漂着。
 夕方、眼つきの鋭い男と頭に短いロープを巻いた男が土埃りまみれで、のそっと民宿に現れた。客達をじろっと一瞥し、玄関先の冷水器から水を一杯ぐっと飲み干すと、ロープは民宿の中へずかずかと。鷹の眼は今来た道を戻って行った。
 ロープがイエス。鷹の眼がNで近所に間借り自炊してた。高倉健似で無口で取っつきにくかった。二人は二ヶ月前、所持金二千円と三百円程で流れ着き、翌日から崎元組で即ドカチン。
 イエスは酒好きで民宿住まいなのですぐに打ち解けたが、Nは酒飲めず、観光客とも親しくつきあわなかった。一度だけ間借りする部屋に遊びに行き、サソリがいるのを教えてくれた。台所脇の石をどけると、平べったく透明な5㎝位のが動いていた。
 三ヶ月後、OJOさんが島で出来た彼女と島を離れるのに便乗、俺らは長崎に。
 酒屋で働き旅費貯めてたら、Nがひょつこり現れ数日泊まっていった。内地を上がってくNに厚手のセーターをあげ、冬再び与那国へ。あんな楽園は幻夢だと確かめに。
 精糖の時季、島は殺気立つ。道に人影無く、砂糖黍刈り一色。廃墟の様だった精糖工場は24時間うなり、旅人達は家をただ同然で借り、高賃金目当てに過酷な労働に励む。
 砂糖黍は寒さにあたると糖度が上がる。 二月三月は、どんより曇空、夏向きの家で寒い寒いと言いながらビーサンに薄着、どなん(泡盛)のお湯割りとアオブダイの刺身にシークゥワーサーたらし、唐辛子の漬物クスをちょっとつけ、時たま夜中になだれこむ島人も騒動になる前にお引き取り願い、仲間と飲めば時も忘れた。
 

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エヌさんのこと 

前回の拙文「エヌへ」は私なりの追悼文でした。葬儀中やその後も親しい仲間たちとメールやり取りしていました。届いたメールは友を先立たせた悲しみと思い出に満ちており、追悼文と感じました。今回と次回にエヌの親友たちからの追悼文を掲載させていただきます。
 今回は北海道に住むテッちゃんから。                     Joe

             「エヌさんのこと」            テッちゃん
 音信不通にしていた奈良在住のJoeさんから突然の電話があり、メールを送ったので至急チェックされたしとのこと。 一瞬 やな予感。 急いでパソコンのスウィッチを入れ、メールを開くと「エヌさんの訃報」の連絡でした。 今まで何度か突然の訃報の連絡を受けたことがあるけど、今回は親しい心の友との別れ、しばらく落ち込みました。 
 エヌさんは今頃「光の世界」で先に旅立った魂達と再会しているのでしょうか、それとも人間世界を、インド・ベナレスの「ガンガの流れ」を天上から眺めているのかなぁ~。 
 小生にとってエヌさんの思い出は、即ちJoeさんとの思い出にも繋がります。不謹慎と思われるかもしれませんが、楽しい楽しい思わず口元が緩み微笑んでしまうエヌさんの思い出が次から次へと脳裏を駆け巡ります。

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パンイチオヤジ物語 

 前回拙文「パンイチの夏」に登場のみどりさんが「パンイチオヤジ物語」を書いてくれました。おもしろいので、どうぞお読みください。       イラスト:ミドリ画。   JOE拝

      ツエ村から   「パンイチオヤジ物語」       みどり
あるところに、すぐ服を脱ぎたがるオヤジが住んでいました。オヤジは仕事が済むとすぐにパンツ一丁になり、皆に嫌がられていました。毎日脱ぐので、天の女神様である、みどり様は「あなたをパンイチオヤジと名づけよう。」とおっしゃいました。それから村人は皆、このオヤジをパンイチオヤジと呼ぶようになりました。時々パンツがずれておいどが見えていました。アーアホらし。
                                 (パンイチオヤジ、夏編)

ギラギラと暑い夏が過ぎ、山に紅い葉も見えて秋は静かにツエ村にもやって来た。寒くなってきた
のでオヤジはパンツ一丁になることはなくなった。まき割り作業をしては服を脱ぎ、村人や家族を悩ませていたオヤジも、今は「寒うなったなあ。」とぽつりとひとり言。
ある日のこと、オヤジが家で寂しくコーヒーをすすっていると、村人の外吉がやって来て坂道で荷車を押していたら、鹿が飛び出して思わず溝へ荷車を落としたと言うのだ。どうせ暇をもてあましたパンイチオヤジ、でしゃばり根性丸出しで外吉と外へと出て行った。二人は力を合わせて荷車を、「エイャーエイヤー、パンイチオヤジは力持ち!」と溝から荷車を、押し出したのだ。オヤジは汗をたくさんかいて体が熱いのでさっそくパンツ一丁になってタバコをふかしていたのだ.そこへ女房のおなみが市場から帰って、「アンタ、またや!この寒いのにパンツ一丁やないの!」おなみもあきれはて、このオヤジにつける薬はありません。オヤジは今日もパンツ一丁でフラフラと出かけて行った。あーあ、ホンマにアホらしい話。
(パンイチオヤジ、秋編)

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